ぷり子のぷりぷりダイアリー

男もすなる日記といふものを、女(子力が高い男子)もしてみむとてするなり。 いとうつくしきふでのはなしなぞしたる。

手書きへのこだわりの源流を探して

ぷり子は都内の某お店で文具を売っております。

今日はちょうどお休みだったのですが、お昼頃職場の方から LINEが入りまして。どうやら最近よく来てくれている中学生のお客様が来店されて私あてのお手紙を託けていったらしい。

なんかね、もうこういうの嬉しいんですよね。冗談抜きで涙腺が緩むというかぶっちゃけ少し泣けた。おっさんが1人お部屋で泣いた。さめざめと泣いた。

すごいよね手紙って。メールや電話ではこうも感情を揺さぶられる事はないと思う。勿論、メールや電話も嬉しいんだけど胸を締め付けられるというかなんというか言語化は難しいんだけど心臓の辺りからじんわり暖かくなるような感じがとても好きです。

そんなほっこりとした気分に浸っていると自分の中である疑問が浮かんだ。「なぜ私はこうも手紙や手書きに感情を揺さぶられるのか」って。色々と考えた結果、多分それは小学三年生のある出来事が起因しているだろうという結論にたどり着いた。今日はそんな昔話でもしようと思う。

Twitterで書いても良かったんだけど、長くなりそうなのでこれは久しぶりにはてなブログかなと。

 

小学三年生の時の担任の先生がボランティア活動なんかに熱心な人で、学活(ホームルーム活動)の時間に町内のゴミ拾いしたり保育園との交流会なんかよくしてた。季節は秋口だっただろうか、先生から「老人ホームへの慰問(この言葉は好きではないけど)しましょう」という提案がされた。内容としては老人ホームに行き入所されているおじいさんやおばあさんと昔の遊びをしたり、お手紙を渡して元気を分けてあげようとの事だった。

今の汚れちまった悲しみに状態からは考えられないくらい当時の私はピュアだったのでプレゼントとして夏休みに作った朝顔の押し花の栞とお手紙を準備して当日を迎えた。学校から車で10分程だろうか老人ホームに着いた。当時の私は老人ホームという場所に行ったことがなかったので病院の仲間くらいの認識だった。その建物は古ぼけて少し寂しそうだったのを憶えている。

ホームに入ってまずはホールみたいな場所で入所者のおじいさんおばあさんとご挨拶をして、そのまま一緒に個別の部屋に行き個別交流という流れだった。

私の担当は80-90歳位の小さいおばあちゃんだった。とてもにこにこしてる可愛いおばあちゃん。一緒に手を繋いで部屋まで行くんだけど少し足が悪いのかゆっくりゆっくり時間をかけて部屋までいった。部屋は四人部屋だったのだが他の人達はいなかった。

おばあちゃんは小さな椅子を出してくれて私はそれに座って自己紹介をした後、「おばあちゃんのために書きました。読んでください!」と元気よくお手紙を渡した。おばあちゃんは手紙を受け取り「ありがとう」と言って封を開けた。1-2分経った頃だろうか、おばあちゃんが恥ずかしそうに私にこう言った。「おばあちゃん実はね…文字が読めないのよ。恥ずかしいわね。よかったら代わりに読んでくれない?」

衝撃だった。今だったら当時の農村、漁村部では家事や仕事のため学校に行けない人達もいたという知識はあるが、当時の私は大人はみんな文字を読めて当たり前だと思っていたからだ。見ず知らずの子どもの目の前で「文字が読めない」と告白することがどれだけ勇気がいる事だったか。そのまま読んだふりもできたはずなのにそれをしなかったのは彼女が優しく、そして誠意ある人間だったからだろう。

私はおばあちゃんの隣りで自分の書いてきた手紙を読んだ。読んでいる部分を指でなぞりながら手紙を読んだ。内容は最近楽しかったこと、面白かった本のこと、ゲームのことみたいな本当にどうでもいい他愛のない内容の手紙だったと思う。それでも彼女は「うんうん」、「すごいねえ」とか相槌を打ちながら聞いていてくれた。

その後は色々な話をした。おばあちゃんのお家のこと、今までしてきた仕事のこと、好きな歌のこと、好きな季節とか色々な事を話したと思う。細かい内容は忘れてしまったけど。

あっという間に1時間が過ぎて帰りの時間が来た。私はおばあちゃんに聞いた。「もう1つプレゼントがあったんですけど…いりますか?」と手提げの中から栞を出した。本が読めないのなら栞もいらないのではないか思った私は「いらなかったらいいんですけど…」と言うと彼女はにっこりしながら「ありがとう、大事にするからばあちゃんにちょうだい」と言ってくれた。本当にうれしかった。

2-3週間程たった頃だったと思う。担任の先生から職員室に呼ばれた。どうやらあのおばあちゃんから私宛ての手紙を預かっているとの事だった。封筒を開けると原稿用紙に鉛筆で「このまえはきてくれてありがとう。とてもたのしかったです。もじのれんしゅうはじめました。べんきょうするのってたのしいね。しおりもたいせつにつかってます。」と書かれていた。たどたどしくても頑張って書いたのがすぐわかる手紙だった。消しゴムで消した跡もたくさんあるのに誤字がなかったのでホームの職員さんに添削してもらったんだろう、本当に心がこもったお手紙だった。中学生からお手紙をもらった時と同じ「心臓の辺りからじんわり暖かくなるような感じ」をこの時感じたのは鮮明に覚えている。おばあちゃんに元気を分けてくるはずがこちらが元気をもらったというわけです。

それ以降彼女と会うことはなかったし、名前もいつの間にか忘れてしまった。今考えるとそれから文通しておけば良かったなと後悔している(子どもって良くも悪くも子どもだよね)。

あれから20年以上経ち、世間に揉まれ、色々と汚れてしまった自分だけど今でも手紙、手書きが好きなのはこの出会いがあったからだと思う訳です。まあその後にも手紙、手書きが好きになる運命的な出会いは何度かあるんですけど、それはまた別の機会にでも。

いやーやっぱり手紙、手書きっていいよ。書いている途中は「こんな字でいいのか、こんな内容でいいのか」って死にたくなるけどマジで書き得なので。

これを最後まで読んでくれた方は、家族や彼氏彼女、友人に手紙を書いてみてください。きっと喜んでくれると思うから。もっと欲をいえば万年筆とインクなんかにも興味を持ってくれると嬉しいな。楽しいからさ、きっと。